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◆08年1月の一目

◆08年1月の一目

司法岡目八目/鈴木英夫の日記

町田顯から島田仁郎へ…
 矢口洪一の死に何が起こったのか?


 最高裁の行為で不可解なことが二点ある。
 ひとつは、矢口洪一の死をを公表したこと。
もうひとつは、裁判員制度普及宣伝のためのタウンミーティ
ングに、サクラが動因されたことを公表したこと。
この行為はいずれも、最高裁が隠蔽し通すつもりなら、いま
なお隠蔽され続けていただろう、と推測できることである。
 矢口洪一が下咽頭ガンで病死したのは06年7月25日であ
ると最高裁が公表した。この7月25日説が虚偽であることは
確実である。ここでは、死亡日については議論しない。問題
最高裁が矢口洪一の死亡そのものを、公表したという事実
の意味についてである。
 最高裁が、矢口洪一の死を「素直に」公表しなかったこと
は確信をもって断言できる。すなわち、矢口の死に対して最
高裁は当初から「作意」をもっていたのである。だから、死の
直後は「とりあえず伏せておこう」となったと推測するのは容
易なことである。
 しかし、ここで矢口洪一の位置について考えなければなら
ないだろう。わたくしは裁判員法の成立をもって矢口洪一の
役割は終了した、と見るのである。「インチキ司法改革推進
派」からすれば、なにかと出しゃばり屋の矢口が死んでくれ
たことは「せいせい」とする出来事でもある。
 だから、7月25日にほんとうに病死したのであれば、下手
な「作意」などせずに、そのまま死亡を公表してよいはずで
はないだろうか。ところが、死亡日に「作意」をもって偽装工
作を行ったのである。ここから、死亡そのものが「素直な死」
ではない、スキャンダラスを伴った死である、という疑惑が
浮上してくるのである。
 山陽新聞WEBNEWSの9月15日のページに、写真入りで
矢口洪一の告別式とお別れの会の記事を掲載されている
のを根拠にして、わたくしは7月25日死亡説は捏造であるこ
とを指摘してきたが、ではいつ死亡したのか、については
なんともいえない状態である。
 病死と異なり「自殺」とすれば、死亡日は自殺者が選択で
きる。ということは、現在も、矢口洪一が生きている可能性
もまったく否定はできない。もちろん、最高裁が死亡を公表
し、インチキとはいえ、告別式とお別れの会の記事も公表
しているのであるから、社会的存在としての元最高裁長官
矢口洪一は「死亡」したのである。この世のどこかに生命
体として生きていたとしても、それは矢口洪一ではないの
である。
 最高裁の力をもってすれば、矢口洪一の死を隠蔽するこ
とは、永遠にとはいえないものの、かなり長期に伏せておく
ことは可能である。最高裁にとっても「インチキ司法改革推
進派」にとっても矢口死亡公表のメリットはなのである。な
のになぜ公表したのだろうか?

「始まりは1月29日深夜、東京新聞社会部の記者からかか
ってきたコメント依頼の電話だった。
「先ほど最高裁判所が緊急発表したのですが、『産経新聞
大阪本社と千葉日報社の2社が最高裁と共催した裁判員
制度のタウンミーティングでサクラを動員していた』という内
容です。(以下略)」(魚住昭『現代』07年4月号「最高裁が手
を染めた27億円の癒着」)
 このヤラセ公表は事実上、裁判員制度の首を絞めたの
ではないだろうか。「やっぱり裁判員制度はおかしい」と当
初から制度に反対のひとたちはますます反対に確信をも
ち、嫌々ながら裁判員になったら従わなければならないの
かと不安動揺を抱えていた多数派層には、ああ、これで裁
判員制度はパーになるだろうと、胸を撫でおろさせたこと
は確実である。
 矢口洪一死亡と同様、最高裁の力をもってすれば、サ
クラ動員のスキャンダルも隠蔽することは可能である。な
ぜ隠蔽せずに公表したのか? 

裁判所法第三条問題は 司法審に
 提起されていた
 司法審の三悪人(佐藤幸治・竹下守夫・
 井上正仁)がこれを握り潰した


1999年11月24日に行われた第7回司法制度改革審議会に
元共同通信論説委員、米澤進が説明者として出席し、「司
法制度改革審議会に望むこと」と題する短い提言を行って
いる。そのなかで、米澤は司法審にとって重要な問題を指
摘していた。
『「陪審法停止に関する法律」と裁判所法3条3項、刑事に
ついて別に陪審の制度を設けることを妨げないに結末を』
というものである。
国民の裁判への参加、という課題を審議するためには、こ
の問題をまずクリアしなければならない、と米澤は考えてい
たのであろう。当然、かれは「陪審制の復活」を構想してい
たのだろう。とすれば、陪臣法停止の法律と、裁判所法3
条が併存している状態をそのままにしておいては、陪審制
復活の法整備は不可能である。
具体的にどうすかは米澤は触れていないので推定するし
かないが、陪審制を復活させる立場からすれば、停止状
態にある旧陪審制を廃止して、裁判所法だけに一元化す
べきである、ということになるのではないだろうか。
とすると、当然、司法審は、国会で陪審停止法の廃止を
決議するよう答申しなければならない。
真面目に陪審制を復活させるのなら、これは当然やらな
ければならない措置である。
ところが、司法審は米澤の提起を黙殺して、陪審停止法
と裁判所法をそのままにして、裁判員法という「偽者」を偽
造したのである。
だから、裁判員制度は陪審制でもなく、参審制でもない、
世界で初めての裁判参加方式である、と偽装したのであ
る。しかし、裁判員制度が参審制であることはすぐにバレ
てしまった。
いまでは、裁判員制度は陪審制とも参審制とも違う世界
初の第三の裁判参加方式である、などと寝言をいってい
るのは救い難い愚か者しかいない。

最高裁長官に 裁判官を調査研究のために
 海外に派遣する権限はない
 1988~89年に 東京地裁三判事を派遣した
 矢口洪一の行為は 越権であり違法である


最高裁長官といえども、下級裁判所の裁判官に何か
をやらせるような指示をすることは違法である。
分かり易い比喩をすれば、裁判官を“議員”と考える
ことである。これは仮定ではなくて、現実的に裁判官
は議員なのである。アメリカでは裁判官を選挙で選
ぶ州がいまでもある。かつては、選挙による選出が
全州で行われていた。だから、アメリカの国民は、裁
判官は官僚ではなくて裁判という特別な任務に就い
ている議員である、と考えている。
日本で考えてみると、衆議院議長がある議員を指名
して海外に調査研究のために派遣することができる
だろうか。また、政党が所属する議員を議会開会中
に海外に調査研究のために派遣するだろうか。やっ
てできないことではないだろうが、有権者から非難さ
れるのは必定である。
裁判官の仕事は、裁判事務と司法行政事務である。
量的には圧倒的に裁判事務が占める。裁判につい
ては形式上は裁判は独立していて、憲法によれば
裁判官はただ「法律」と「良心」にだけ従うのであり
他者の干渉や関与は受けない。
司法行政事務についてはどうか。
外国の陪審・参審制の調査研究を行うことは司法
行政事務だろうか。否である。司法行政事務は組
織運営に付随する「庶務」の仕事である。海外の陪
審・参審制を調査研究は到底「庶務」とはいえない。
それに、立法機関(国会)に何の権限も有しない裁
判官が調査研究を行うことは司法行政事務とはい
えない。
もし、司法行政事務として海外出張したい(させた
い)のであれば、裁判所法に従って、出張する裁判
官が所属する裁判所の全裁判官によって構成され
る「裁判官会議」の議決が必要である。
米国・英国に派遣された三判事は東京地方裁判所
に所属していた裁判官であるから、東京地裁の裁
判官会議で決定されなければならないのである。
矢口洪一が三判事を海外に派遣した行為は、越権
行為であり、権力の濫用であり、違法行為である。
問題は、矢口洪一の「暴君のような振る舞い」に対
して司法界が沈黙してきたことにある。

「裁判員制度」は始原から違法だった

裁判員制度のルーツをたどる場合、理論的な立場と、法政
策的な立場の二つに大別してよいだろう。理論的な問題とし
て考えると、裁判員制度プロパーのルーツは、司法制度改
革審議会の第45回の会議になり、これは決してルーツと呼
べるシロモノではない。裁判員制度のルーツは陪審制・参
審制に遡らなければならない。欧米ではこの制度は数百年
の歴史があるが、日本では大正期に導入され、利用する裁
判も激減して、休止状態になって、1990年代末の司法制度
改革論議で論争のテーマとなった。
日弁連は戦後一貫して陪審制の復活を運動方針に掲げて
きたのであり、裁判員制度のルーツは日弁連に辿り着くと
いえなくもない。
しかし、国民はもとより、司法人たちも、裁判員制度が日弁
連の主張する陪審制のDNAを引き継いだ“こども”だとは思
っていない。
では、裁判員制度のルーツは誰なのか?
こう問うと、“裁判員制度の親”は矢口洪一になる。そして、
矢口洪一以外に親を探しても徒労に終わるのである。
このことは、矢口洪一の“でっちあげ告別式”で語ったと山
陽新聞WEBNEWSが伝える当時の最高裁長官・町田顯の
弔辞でも立証されている。町田は矢口を「裁判員制度導入
に道筋をつけた」人物として称揚しているのである。
事実、1988年から89年にかけて、矢口洪一は東京地裁の
判事三人(山室恵・白木勇・竹崎博充)を陪審制・参審制
の調査研究のために米国と英国に派遣している。さらに、
最高裁事務総局に陪審制・参審制についての調査研究
を指示している。
これが、「法政策として」国民の司法参加をテーマとした具
体的な活動である。
実は、この地裁判事の派遣には二つの不審な点と、一つ
の明確な違法行為(憲法違反、裁判所法違反)が指摘でき
るのである。
“軽い”問題から指摘しよう。陪審制・参審制を調査研究す
るといいながら、三判事を英米法圏の米国、英国だけに
派遣し、大陸法圏に派遣しなかったのは矢口の作意と考え
てよいだろう。ヨーロッパの裁判参加形式は、英米の陪審
制と、大陸の参審制に大別される。これは、混合されて様
々なバリエーションを展開しているが、ルーツを辿れば二
つになる。三人の判事を派遣しながら、大陸系の参審制に
ついてはネグレクトしたのである。
なぜか? この判事派遣はアリバイ作りのための偽装派
遣であって、調査研究の内実などうでもやかったのである。
理論的には、陪審制と参審制を対比させて論じることは両
者の特徴を明らかにして、制度の違いがよく理解できる。
しかし、制度を導入する場合は裁判所法が存在していて、
これを無視することは許されない。
学問的に陪審制と参審制を研究する上には何の制約も存
在しない。しかし、これを司法制度として導入を検討する場
合は「前提条件」が異なる。裁判所法第三条③と憲法第七
六条の存在である。
憲法第七六条「①「すべて司法権は、最高裁判所及び法律
の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」

裁判所法第三条「③この法律の規定は、刑事について、別
に法律で陪審の制度を設けることを妨げない。」
参審制を導入するためには、憲法を改正して、裁判所だけ
にしか与えられていない「司法権」を国民にも与えるように
変更しなければならないのである。
このような前提条件が明文法として存在しているのは、国際
的には日本だけではないだろうか。
もし、矢口洪一が最高裁長官として参審制の導入を意図して
いたなら、憲法改正を提唱しなければならない。しかし、最高
裁長官には、憲法改正の提案権もなければ、発議権もない
のであるから、広く世論に訴えるか、立法府(国会)に検討
を要請することに止まるしかない。
陪審制は、憲法第七六条の規定にかかわらず、裁判所法第
三条③によって「妨げない」と規定されているので、法律上の
バリアーは存在しない。しかし。最高裁長官は陪審制導入の
ために必要な立法権は持っていないのである。

「裁判員」いい出しっ屁は井上正仁(東大教授)
 司法審終期のドサクサにまぎれ混ませた
 学者らしからぬ汚い陰謀である

第45回司法審は2001年1月30日に開かれた。曽野綾子委員
が欠席し、12名の委員が出席した。
この会議で「初めて」裁判員という用語が登場したのである。
議題は「国民の司法参加」についてで、議事概要は以下の
ように伝えている。
「国民の司法参加」に関し、訴訟手続への新たな参加制度に
つき、別紙のレジュメ(冒頭、井上委員から内容説明あり)に
従って、委員間で意見交換が行われたところ、主な意見の概
要は以下の通り。
続いて、五つの意見が列挙されているが、これには裁判員と

いう用語は出てこない。ただ「制度」と呼ばれるだけで、何を
論議しているのか不明である。
そして、次の項で「参加する役割、裁判官との役割分担につ
いて」になって、最初の意見、
○事実認定の権限は国民から選ばれた裁判員だけが有す
るとすべき。という意見で初めて議論が「裁判員」についてな
されていることに気づくのである。
前後の文脈から、「裁判員」という用語は、「冒頭、井上委員
から内容説明あり」という注釈に従えば、井上委員のレジュメ
に裁判員という用語が盛り込まれていた、ということが理解で
きるし、それ以外の解釈はあり得ないだろう。
「裁判員」という新しい用語は、井上正仁委員が「第45回審
議審に提出したレジュメ」の中に日本で最初に使用したので
ある。
すると、ダニエル・H・フット『名もない顔もない司法』の「刑事
訴訟法学者・松尾浩也によるまったく新しい造語」という記述
はウソだということになる。松尾が審議審に出席していたら
話は変わってくるかもしれないが、松尾が出席したのは第
43回であって、第44回、45回及びそれ以降の審議審に松
尾は出席していないのである。出席していない「説明者」が
新しい造語を審議審に提起することは不可能である。
その後、第51回審議審で裁判員制度について議論がなさ
れた。この内容については「司法制度改革審議会」で検索
し第51回の議事内容にアクセスしていただきたい。

「裁判員」という用語について

司法制度改革審議会に「裁判員」という用語が登場したいき
さつについて、ダニエル・H・フットの『名もない顔もない司法』
(NTT出版、2007年11月)では以下のように記述されている。
「…国民の司法参加を支持する立場のなかでも、イギリスや
合衆国の制度に倣って、一般市民のみからなる陪審が職業
裁判官のいないところで評議をして事実を認定する純粋な陪
審制度にするか、ヨーロッパで広くみられるような、素人が職
業裁判官とともに評議を行う参審制にするかをめぐり、激しい
議論の応酬があった(実際、陪審支持派と参審支持派との対
立はあまりに激しく、刑事訴訟法学者の松尾浩也は、改革審
での報告の際に、「陪審」「参審」のいずれも使わないように
するため、「裁判員」というまったく新しい造語を用いたほどだ
った。この用語は、その後急速に定着していった。)」
すなわち、「裁判員」とは、松尾が審議を進めるための「方便」
として持ち出したらしい。
わたくしはこの“軽い”理由に不審を抱き、司法制度審議会の
議事録をWEB上で調べてみた。
「国民司法参加」を議題とする審議会の審議は「第43回(20
01年1月9日)、第45回(2001年1月30日)、第51回(2001年
3月13日)」の3回行われている。
WEB上の「記事概要」で見るかぎり、松尾が陪審・参審の対立
を止揚するために「裁判員」という用語を持ち出したという事実
はまったくうかがえないのである。
第43回の司法審には、佐藤幸治、竹下守夫、井上正仁、北
村敬子、曽野綾子、高木剛、鳥居泰彦、中坊公平、藤田耕三、
水原敏博、山本勝、吉岡初子の委員12名と、藤倉皓一帝塚
山大学法政策学部教授、三谷太一郎成蹊大学法学部教授、
松尾浩也東京大学名誉教授の3名が「説明者」として出席し
ていた。
松尾は次の45回にもそれ以降の審議会にも出席していない
ので、フットに記述に従えば、松尾が唯一出席したこの第43
回の審議審で「裁判員」という用語を持ち出したとしか考えら
れないのであるが、「第43回議事概要」には「裁判員」という
用語は登場しないのである。しかも、審議審の様子は、松尾
が裁判員という新しい造語を持ち出さなければならないほど
「激しい対立」などなくて、ごく常識的な「質疑応答」がなされ
たのである。
この第45回のカラクリについては明日述べることにする。
ダニエル・H・フットについては訪問者のみなさんには馴染が
ないと思うので、同書巻末にある著者紹介を引用する。
『ダニエル・H・フット(FOOTE,Daniej H,
東京大学大学院法
学政治学研究科教授。ハーバート・ロースクールを卒業後、
連邦地方裁判所ロー・クラーク、連邦最高裁判所ロー・クラ
ーク。日産自動車法規部、オイルベニー&マイヤーズ法律
事務所(弁護士)、ワシントン大学ロー・スクール冠教授を
経て現職。著書に、『裁判と社会-司法の「常識」再考』(N
TT出版、2006年)があり、近々『Low in Japan:A Turning
Point』(編著、ワシントン大学出版会)も刊行予定。』


ますます深まる“矢口洪一の死の謎”
(工事中)



矢口洪一の狙いは「司法行政庁」?

矢口洪一は、山口繁に最高裁長官の地位と権力を詐取させ
て何をしようとしていたのか?
京都弁護士会が編集した『法曹一元』(1999年刊行)は、講演
座談会などを収録しているが中に、矢口洪一を囲む講演と座
談会がある。最後に参加者の弁護士から質問がなされた。
「質問 どうしても元長官というお立場で経験されたことを踏ま
えて教えていただかなくてはわからないことで、法曹一元裁判
官の司法行政権というのはあるんですかね。
矢口 司法行政をやめたらいいと思います。判決で勝負したら
いいと思います。アメリカ連邦裁判所は、違憲判断はいたしま
すけど、司法行政はやらないんです。できるものじゃないんで
す。私が自分で最高裁の判事を5~6年やりました。ああいう
ものはちゃんと組織立った、だって全国で裁判官だけで3,00人
ですか、職員入れたら2万何千人、それの行政を判決片手間
にできるようなものじゃないです。そんなことをしないように済
むようにすればいいんです。もっぱら裁判で勝負。…」
ここに、矢口のホンネが語られている。
では、裁判官が司法行政をしなくなったら、誰が司法行政を
行うのか。矢口はこれには言及していない。
わたくしは長いこと、司法行政を最高裁事務総局が掌握し続
けるために矢口の謀略が行われたと考えてきたが、これは甘
い考えだったようだ。
矢口の野望は、司法行政を専管する組織を作りたい、現状
では「日陰者」にすぎない最高裁事務総局の「司法行政機能」
をはっきりとオーソライズさせて、最高裁の内局あるいは外
局として一本立ちさせようと展望していたのではないだろうか。
最高裁の、裁判と司法行政を並列させて論じようとしてきた
のは矢口洪一ただひとりである。何故なら、他の裁判官にと
っては、裁判事務と司法行政事務を並列的に捉えることはま
ったくあり得ないことなのである。司法行政事務は、裁判官に
とって時間量からしても99対1位の比率だろうし、質の上では
裁判で苦労するのと、司法行政で思い悩むのとではまったく
次元の異なる問題である。
司法行政を裁判と並列させたり、同格に扱うという思考は、
「裁判をしない裁判官」として永年暮らしてきた矢口だけが持
つ特殊なものといえよう。司法行政事務はあくまで補助的な
ものであり、本体をうまく作動させるサポート役に過ぎないの
である。医療事務が医療本体から独立して存在するだろう
か。裏方なのである。矢口は裏方をあまりに長く勤めたため
に裏方と表に立つ役者とをごっちゃにしたのである。
読売新聞2003年10月1日「時代の証言者-14回」で、矢口は
ロッキード事件で最高裁がコーチャンらを起訴しないことを保
証した「宣明書」について、後日、1995年2月、草場良八長官
が裁判長を務めた大法廷が「刑事訴訟法に規定のない、刑
事免責を付与して得られた供述を事実認定の証拠とするこ
とは許容されない」と嘱託尋問調書の証拠能力を否定したが、
次のように強弁している。
「この一件は、最高裁側から見ると、裁判体としての大法廷
と、司法行政を担う裁判官会議は別物だということを示すい
い例です。一線の裁判官もそこを見誤ったと言えるかも知れ
ません。見誤ったとすれば、両者は別物だという最高裁の考
え方が、一線の裁判官に伝わらない、影響しないということ
になります。」
矢口は相当耄碌したようである。証拠能力を否定したのは、
最高裁なのであって、一線の裁判官(矢口が意味する下級
裁判所裁判官)なんかではないのである。
この矢口の証言で問題となるのは、裁判体としての大法廷
と、司法行政を担う裁判官会議は別物だ、という断定である。
医療と医療事務は別物だとか、プロ野球球団の野球プレイ
と球団事務は別物だ、という意味なら、裁判と司法行政事務
とは別物だといえる。しかし、医療事務や球団事務が独立し
たそれだけで成り立つ業務であるとは、誰も考えないだろう。
矢口の考えは非常識なのである。
草場コートの判断から導かれる結論は、最高裁裁判官会議
で「司法取引」を決定したのは誤りであるということなのだ。
矢口洪一は司法行政の権能を異常に肥大させたのである

その具体的な表われが、肥大化した最高裁事務総局であ
り、その事務総局による司法全体の統制支配である。
そしてこれこそが、矢口陰謀犯罪を成立させたのである。


井上薫『司法は腐り人権滅ぶ』の誤り

本書は時宜を得た好書である。特に、裁判員制度に対して
元裁判官というキャリアを生かして、制度の違憲性を真正面
から論断している。論旨明快で分かりやすい。
しかし、残念なことに、本書の冒頭に述べられている、裁判
権や司法行政権に関する部分に看過できない誤りがある。
実は、この誤りは、著者の誤解や無知から発したことなのだ
が、矢口洪一の謀略、最高裁犯罪のトリックの核心的部分
に該当するので、言及しなければならないのである。
少し長くなるが、その部分を引用する。
「…日本国憲法は、国家の統治権を三分し、司法権を裁判
所に与え、立法権を国会に与え、行政権を内閣に与えまし
た。(中略)ここで、『裁判権が司法の中核である』といいま
したが、司法権のなかには、じつは、裁判権の他にもうひと
つがあるという意味なのです。それは、司法行政権と呼ば
れます。これは、裁判所組織内の庶務を処理する権限を
いいます。(中略)司法行政権は、戦前は司法大臣が行使
しました。現在では、司法権の独立をはかるため、法律に
より、司法行政権は最高裁判所(最高裁判所所属の裁判
官十五人全員で構成する裁判官会議のこと)に与えられて
います。じっさいの司法行政権は、最高裁判所の下に、高
等裁判所長官、地方裁判所所長という部下がいて、指揮
系統を牛耳っています。司法行政権は、一般の行政と同じ
で、上命下服の関係で統一されています。」(講談社現代
新書、14~15頁)
まず、用語の誤りについて指摘しよう。
「司法行政権」という用語はわが国の法令にはない。
憲法には第七六条に「司法権」が登場し「①すべて司法権
は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下
級裁判所に属する。」とある。「司法権」は、最高裁判所だ
けに与えられた権限ではない。
著者は、司法権をブレークダウンさせて、裁判権と司法行
政権に分けたが、裁判所法には「裁判権」という用語は登
場するが、「司法行政権」という用語は出てこない。「法律
により、司法行政権は最高裁判所に与えられています、と
言い切っているが、そんな「法律」はないのである。
裁判所法以外にそんな法律があるのなら、示していただき
たい。
実は、わたくしも「司法行政権」という用語を使っている。し
かし、井上の含意で使用していない。井上は「司法行政権」
は一つの独立した権限のように理解しているようだが、そ
れは誤りである。わたくしは、司法行政権はあくまで裁判権
に対抗する概念ではなく、裁判権を補助する従属的な概念
として使用している。裁判所法では「司法行政事務」と表現
している。すなわち、裁判官の業務は「裁判事務」と「司法
行政事務」とがあり、裁判事務がメインであることは明らか
であり、司法行政権と表現するのは、あくまで「裁判権」の
対義語として、反射的な言葉として使用している。
司法行政はあくまで「庶務」という本質をもっている。だから
補助的、従属的なのである。たとえば、医療においては診断
治療という医療の本業に対して、医療事務はあくまで補助的
なものであることはあきらかであり、医療事務が独立して成
立し得ないことは明確である。

次の部分、「じっさいの司法行政権は、最高裁判所の下に、
高等裁判所長官、地方裁判所長という部下がいて、指揮命
令系統を牛耳っています。」のくだりは、混乱した叙述である。
最高裁判所に司法行政権が与えられているのなら、著者の
指摘することは、なんら、やましいことのない適法な行為で
あり非難される筋合いはないのである。
裁判所法は、
第一二条①最高裁判所が司法行政事務を行うのは、裁判
官会議の議によるものとし、最高裁判所長官が、これを総
括する。
第二○条①各高等裁判所が司法行政事務を行うのは、裁
判官会議の議によるものとし、各高等裁判所長官が、これ
を総括する。
第二九条②各地方裁判所が司法行政事務を行うのは、裁
判官会議の議によるものとし、各地方裁判所長が、これを
総括する。
司法行政において、最高裁と下級裁判所との関係は、上司
と部下の関係ではない。法律上のタテマエはあくまで各裁
判所の自主独立が法定されているのである。
ところが、現実は井上の述べているように、最高裁と下級
裁判所の関係は「上下関係」になっているのである。
イメージとしては、裁判官を「議員」と考えればいいのではな
いだろうか。最高裁が国会、下級裁判所は地方議会となぞ
らえれば、地方議会が国会と上下関係ではなく、それぞれ
独立した権能をもっていることはあきらかである。
裁判官の独立を実現し、これを維持することは「裁判官会
議」を「復活」することであり、司法改革が真っ先に行わな
ければならないのは、この裁判官会議の復活なのである。
裁判官会議は1970年代に絶滅させられてしまった。絶滅さ
せたのは、石田和外であり、矢口洪一である。

司法行政事務や裁判官会議について、なぜ井上は初歩
的な誤りを冒したのだろうか。
それは、井上の経歴を見ると分かる。
著者の井上薫は1954年東京生まれ。1978年東大理学部
卒、1980年大学院修士課程を卒業して民間企業研究所に
就職し、その後、独学で司法試験に挑戦し、1983年に合
格、86年判事補、96年判事に任官。2006年横浜地裁で退
官。この経歴で分かるように、井上は法学部出身ではない。
だから、司法批判の多くの著作を発表できたのである。
問題は、井上が裁判官になったのは1986年である、という
時期のことである。1970年代を通して、下級裁判所の裁判
官会議は絶滅していった。井上が裁判官になった時には、
もはや「裁判官会議」は影も形もなくなっていたのである。
裁判官会議は化石となって「六法全書」の中にしか存在しな
くなったのである。
しかも、裁判官会議の化石がある「裁判官法」という地層を
最高裁は、ひとが注目しないよう隠してきたのである。
これが、「矢口洪一の犯罪」のポイントなのである。
(下級裁判所の裁判官会議については『テキスト現代司法』
参照)

司法は政治である

第32代アメリカ合衆国大統領・フランクリン・ルーズベルトが
就任したのは1932年である。いかに1929年の大恐慌から脱
出するか、ソ連を除く世界中が苦悶していた。ルーズベルト
は、これまで伝統的に採用されてきた自由競争原理による
市場の論理にまかせる政策から、ケインズ学説を取り入れ
て、社会主義的、計画経済的手法も利用して、国家の財政
を出動させて有効需要を喚起させるニューディール(新規巻
き直し)政策を実施した。
全国産業復興法、農業調整法などで統制経済の大枠をか
け、企業、銀行への信用供与、失業救済策などをすすめ、
社会保障政策、労働者の団結権の承認など総合的な不況
脱出策の実施を成功させ、圧倒的支持で再選された。
二期目のルーズベルトのニューディール政策の前に立ちは
だかった「抵抗勢力」は、ニューディール政策を憲法違反と
する連邦最高裁判所で多数派を占める保守派判事たちだ
った。ルーズベルトは、辛抱強く違憲派の判事を合憲派に
置き換えて多数派工作を実行した。
裁判官は政治家なのである。
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