◆08年3月の一目
司法岡目八目/鈴木英夫の日記/2008年3月31日(月)
●自滅終了した裁判員制度問題
●裁判員制度が葬られるのは確実
次に 司法をどう再生させるか が課題になる
●“矢口洪一の死”は
“明治司法の死”を意味する
やっと 家父長制・男尊女卑・権威主義・秘密
主義などの悪霊から司法が解放されるのである
●まず 「生きている陪審法」を
どうするか から始めなければならない
陪審法が公布されたのは1923年4月、最初の陪審裁判が
行われたのが5年後の1928年10月である。途中経過はすべ
て省略して、「陪審法の停止に関する法律」が公布され、陪
審制が中止されたのが1943年である。
陪審制反対論の中には、日本人は裁判嫌いであり、陪審
のような法律に素人の国民が関わるのは不向きである、お
まけに一神教ではないか2ら判決や評決はできない、だから
陪審制は失敗したのである、などという「日本民族特殊論」
はためにする非難であって、見当違いもはなはだしい。
休止された年が1948年であることを注目して欲しい。
1946年に始まった太平洋戦争の2年後である。
弁護士を含めて、すべての「組織」が「大政翼賛会」の組
み入れられたのである。裁判官も、検察官も、弁護士も「天
皇のため」にすべてを一つにされたのである。こんな状況下
で陪審裁判が成立するだろうか? この陪審制は被告人側
に選択権が与えられていたのだ。
陪審法の停止に関する法律は、その付則で「陪審は大東
亜戦争終了後再施行するものとし其の期日は各条につき
勅令を以って定む」と規定している。
1987年、第百八国会衆議院法務委員会において、小澤克
介議員(山口県選出・社会党)が付則を取り上げ、「勅令」を
どのように解釈すればいいのか、と政府の見解を質した。法
務省刑事局長は「政令」と解すのが至当と答弁し、小澤議員
は、政令なら政府が取り組む問題で、国会が関与する問題
ではない、40年もの間、無視され続けているのは異常な状態
であり、政府のサボタージュである、と断じた。
戦争が終われば再施行する、というあるから、陪審法を停
止する法律は、戦争中は「眠らせている」が、「生きている」こ
とは明確である。
この付則によって、裁判員制度のインチキ性は明らかにな
った。裁判員制度の「内容」のあれこれの問題ではない。
まず政府は、「陪審法の再施行」に対して決定しなければ
ならないのである。
そのまま陪審法を再施行することは不可能である。
戦争終了は「ポツダム宣言受託」という無条件降伏による
敗戦という事態で迎えた。
「天皇主権」から「主権在民」と国家のあり方が根本から転
換した。裁判制度も変わり、刑事訴訟法も変わった。(陪審
法は旧刑事訴訟法の特別法として制定された) この時、当
然、陪審制の復活について基本的な決定がなされるべきだ
った。日本政府もGHQも陪審制復活を考えていた。これに
対して、当事者の「司法関係者」が反対したようである。
そのため、即時の再施行は断念され、裁判所法第三条が
復活の担保として明文化された。
裁判所法第三条は条文の文脈からすると「盲腸」のような
ものである。これを、陪審制復活の担保と見なせば整合的
に理解することができる。
形式的な誤りはどこにあるだろうか?
1999年、司法制度改革審議会設置法が成立し、審議会が
スタートする時、当時の内閣総理大臣・小渕恵三が、まず陪
審制再施行の是非を審議会に問うことが必要であったので
ある。もちろん、裁判員制度導入を策する一握りの悪党を除
いて、そんなことを考えるものはいなかった。
●矢口洪一は歴史を断絶させて
参審制導入の謀略をめぐらせたのである
矢口洪一が最高裁事務総局に陪審・参審の調査研究を指示
し、東京地裁の判事を米国・英国に同じテーマで海外派遣した
のは1988年であり、衆議院法務委員会で小澤克介議員(社会
党)が質問した翌年のことである。(工事中)
●裁判員制度批判に対する
わたくしの立場の修正について
丸田隆著『陪審裁判を考える』をよんだのは2001年の年末の
ことだった。このときは「裁判員」は陪審制の一種だと思いこん
でいて、戦前、施行されていた陪審裁判については、ほとんど
注意しなかった。今度、再読して驚いた。「陪審法の廃止に関す
る法律付則」を知ってである。さらに、同書で触れている、衆議
院法務委員会での小澤克介議員(社会党)の質問と、それに対
する岡村政府委員(法務省刑事局長)の回答を読んで、この付
則が、現在、眠ってはいるが生きている法律であることを知っ
たのである。
付則は「陪審は今次の戦争終了後再施行するものとし其の
期日は各条に付勅令を以って定む」と定めている。戦争が終わ
ったら陪審裁判は復活させる、と法に明記されているのである。
戦前、戦中の法律用語であった「勅令」を、現在ではどう言い
表せばいいのか、という小澤議員の質問に対して、岡村政府
委員は「政令」と解釈できると答えている。
陪審制の復活は法が定めていたのである。
この付則によって、裁判員制度導入が矢口洪一の謀略であり
犯罪であることが明らかになるのである。
小澤議員が質問したのは1987年のことである。矢口洪一は19
85年11月から1990年2月まで最高裁長官であり、まさに小澤質
問のときは任期中だったのである。だから、矢口が国会での小
澤質問を知らなかったはずはない。たとえ、小澤質問がなかっ
たとしても、陪審停止法付則が「生きている」法律である、とう認
識がないはずはないだろう。
付則に従えば、陪審制を復活させるには、政府に対して「再施
行」することを閣議決定し、法務省に復活のための準備に着手
するよう指示して欲しい、と要請するのが筋である。
しかし、小澤議員も指摘しているように、戦前に施行された「陪
審裁判」をそのまま復活させることはあり得ない。戦後改革によ
って「天皇主権」が「国民主権」に転換し、憲法も、裁判制度も、
刑事訴訟法も、大転換したのであるから陪審制を復活させるに
は「新規導入」並みの根本的な手直しが必要である。
しかし、戦後改革が大きな転換であったとしても、戦前・戦中の
法を黙殺してよい、ということは成り立たない。
国会は、付則も停止して、陪審制を完全に葬るのか
改正して陪審裁判を復活させるのか
この二者択一しかないのである。
眠っている付則を、そのまま起こさずに眠らせておく、という選
択肢は、裁判員制度導入をめぐって国民から批判が噴出してい
るなかではありえないのである。
法治国家の国民としては、法は守らなければならない。その法
が現実にそくわないのであれば、主権在民なのだから、国会で、
現実にマッチするよう直せばいいのである。
このことは、陪審制はそのそも日本には向いていない制度だ
から、陪審制導入を根本から否定する疑問も含めて議論すべ
である。
