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2007年7月 8日 (日)

司法改革には顔がない

司法岡目八目/鈴木英夫の日記 
だれが司法改革をすすめたのか

改革には、必ずその改革のリーダーシップをとった人物がい
ます。改革は指導者の名前と不可分になっています。
所得倍増は池田勇人、列島改造は田中角栄、国鉄民営化は
中曽根康弘、郵政民営化は小泉純一郎……。
では、司法制度改革は誰でしょうか?
それは、いません。司法制度改革には顔になる人物が不在で
す。司法制度改革が小さい改革だからではないと思います。
今年はわが国の司法制度がスタートして60年になります。そし
て、司法制度はこの60年間、まったく基本的な改革もなく、た
だ惰性で旧来の慣習を墨守してきました。

だからこそ、1999年に司法制度改革審議会が設置された時は
国民は改革の期待を多少なりとも抱いたといえるでしょう。
特に「法曹一元」の実現に、弁護士たちは期待しました。
しかし、司法審が発足し、最初の「論点整理」の段階で、「法曹
一元」は早くも蚊帳の外に置かれ、論議の対象にもなりません
でした。故・遠藤誠弁護士の『私は悪人に味方する』を読むと
この間の、期待から失望へと転変する有様がよく分かります。
司法審は、スタートしてすぐに、矢口洪一や法務官僚の意図
にそって進められました。
そして、審議会の最終段階で、まるで泥棒猫がネコババする
ように、裁判員制度を答申に押し込んだのです。

思い出の 事件を裁く 最高裁
これは小泉前首相が好んで口にした戯れ句です。
スローモーな裁判を揶揄しているのですが、一国の首相が口
にすべき句ではありません。なぜなら、司法はどんな小さな事
件でも、ひとの運命がかかっているからです。
他者にとっては「思い出の事件」となってしまったかも知れま
せんが、当事者(被害者、加害者とも)にとっては、思い出で処
理できないのが犯罪なのです。そして、周囲のわたくしたちも
「思い出」にしてはいけないのです。

司法制度改革は、こういう戯れ句を口にできるようなフザケた
野郎がリーダーシップは取れませんね。小渕恵三、森喜朗、
細川護煕、村山富市……。司法制度改革の痕跡なしです。
政治家で司法制度改革の“顔”となる人物はいないのです。
では、司法界の人物か? わたくしは矢口洪一しかいないだ
ろう、と考えています。しかし、矢口洪一なんて知名度が低い
ですね。法学部の学生も知らないのではないでしょうか。
だから司法制度改革には“顔”はないのです。矢口洪一は裏
工作を進めた人物に過ぎません。
そして、この“顔”がないことが、司法制度改革のインチキ性
を物語っている、といえます。

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