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◆事件経過

①最高裁犯罪経過

司法岡目八目/鈴木英夫の日記

矢口洪一・山口繁を中心とした
最高裁判所犯罪疑惑の事実経過


《ロッキード事件から矢口が政治力を取得》
1970年12月→  矢口洪一が最高裁事務総局人事局長に
1972年7月7日→ 田中角栄内閣成立
1974年12月9日→ 三木武夫内閣成立
1976年2月5日→ ロッキード事件発覚(米国発の情報)
1976年5月22日→ 東京地検がコーチャンらの不起訴を宣明
1976年5月25日→ 藤林益三が最高裁長官に
1976年7月→ 矢口洪一が最高裁事務総局事務次長に
1976年7月24日→ 最高裁裁判官会議が不起訴宣明書を
            米国に提出することを決定
1976年7月27日→ 田中角栄前首相が外為法違反で逮捕
1976年12月24日→ 福田赳夫内閣成立
1977年9月→ 矢口洪一が浦和地裁所長に
1978年10月→ 矢口洪一が東京家裁所長に
1978年12月7日→ 大平正芳内閣成立
1980年3月→ 矢口洪一が最高裁事務総長に
1980年7月17日→ 鈴木善幸内閣成立
1982年11月→ 矢口洪一が東京高裁長官に
1982年11月27日→ 中曽根康弘内閣成立
1983年→ 山口繁が最高裁事務総局総務局長に
1983年10月12日→ 東京地裁が田中元首相に有罪判決
1984年2月→ 矢口洪一が最高裁判事に(中曽根内閣)
1985年2月27日→ 田中角栄が脳梗塞で倒れる
1985年1月1日→ 山口繁の学歴は「読売年鑑分野別人名録
           1985年版」では「日大専高師」卒と記載
《矢口洪一長官時代》
1985年11月→ 矢口洪一が最高裁長官に(中曽根内閣)
          (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1986年1月1日→ 山口繁の学歴が「読売年鑑分野別人名録
           1986年版」では「京大法」卒
1987年7月→ 東京高裁は一審を支持し田中角栄の控訴を棄却
1987年11月6日→ 竹下登内閣成立
1988年→ 山口繁が甲府地裁・家裁所長に
1988年~89年→ 矢口洪一が東京地裁裁判官(白木勇・竹崎
           博充・山室恵)を陪審・参審制調査のためア
           メリカ、イギリスに派遣(最高裁長官に下級
           裁判所の裁判官を外国に派遣する権限は
           などない。矢口の権力濫用、不法行為)
1989年→ 山口繁が東京高裁公判部総括に
1989年8月9日→ 海部俊樹内閣成立
1989年3月31日→ 園部逸夫、最高裁判事に(海部内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1989年11月27日→ 草場良八、最高裁判事に(海部内閣)、
             (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1990年2月20日→ 矢口洪一が定年退官。後任長官に草場良八
            (海部内閣)
《矢口洪一潜行時代》
1990年→ 中坊公平が日弁連会長に
1990年5月→ 日弁連「司法改革に関する宣言」(中坊は「司法
         改革は弁護士改革である」と揚言。これは矢口
         の意向を受けて司法改革を誤導する作意ある
         発言である)
1990年5月10日→ 可部恒雄、最高裁判事に(海部内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1991年→ 山口繁が司法研修所長に
1991年5月13日→ 大西勝也、最高裁判事に、(海部内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1991年11月5日→ 宮沢喜一内閣成立
1992年2月13日→ 小野幹雄、最高裁判事に(宮沢内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1992年3月25日→ 三好達、最高裁判事に(宮沢内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1993年4月1日→ 大野正男、最高裁判事に(宮沢内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1993年4月13日→ 大白勝、最高裁判事に(宮沢内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1993年5月→ 矢口洪一が『最高裁判所とともに』を刊行
1993年8月9日→ 細川護煕内閣成立
1993年9月13日→ 千種秀夫、最高裁判事に(細川内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1993年12月16日→ 田中角栄死去
1994年→ 山口繁が福岡高裁長官に
1994年1月11日→ 根岸重治、最高裁判事に(細川内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1994年2月9日→ 高橋久子、最高裁判事に(細川内閣)
           (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1994年2月19日→ 尾崎行信、最高裁判事に(細川内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1994年4月28日→ 羽田孜内閣成立
1994年6月→ 経済同友会が「現代日本の病理と処方」発表
1994年6月30日→ 村山富市内閣成立
1994年7月25日→ 河合伸一、最高裁判事に(村山内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1995年2月12日→ 遠藤光男、最高裁判事に
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1995年2月22日→ 最高裁大法廷がロッキード裁判・丸紅ル
            ートで「刑事免責を前提とした嘱託尋問
            は間違っていた」という判断を示す
1995年5月→ 日弁連が「司法改革全体構想」を発表
1995年8月10日→ 井嶋一友、最高裁判事に(村山内閣)
1995年9月4日→ 福田博、最高裁判事に(村山内閣)
1995年11月→ 草場長官が定年退官。後任は三好達
1996年1月11日→ 橋本龍太郎内閣成立
1996年12月23日→ 矢口洪一が毎日新聞ワイド・オピ
            ニオンで「司法改革の概要」を述べる
            (司法への国民参加を初めて主張)
《山口繁時代》
1997年3月9日→ 山口繁が最高裁判事に(橋本内閣)
           (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1997年9月2日→ 元原利文、最高裁判事に(橋本内閣)
           (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1997年9月21日→ 大出峻郎、最高裁判事に(橋本内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1997年10月31日→ 三好長官が定年退官。後任に山口繁
             (橋本内閣)
1997年10月31日→ 金谷利廣、最高裁判事に(小渕内閣)
             (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1997年11月→ 自民党司法特別調査会「司法制度改革
           改革の基本的な方針」を発表
1998年2月~3月→ 矢口洪一ら日経新聞リレー討論(宮
            内義彦=オリックス社長、中坊公平=
            住宅金融債権管理機構社長、保岡興
            治=自民党司法制度特別調査会長)
1998年4月→ 矢口洪一が財団法人法務研究財団特別顧問に
1998年7月30日→ 小渕恵三内閣成立
1998年7月→ 矢口洪一が日弁連で「法曹一元」で講演
1998年9月10日→ 北川弘治、最高裁判事に(小渕内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1998年12月4日→ 亀山継夫、最高裁判事に(小渕内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1999年3月31日→ 奥田昌道、最高裁判事に(橋本内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1999年4月21日→ 梶谷玄、最高裁判事に(小渕内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
1999年5月→ 司法制度改革審議会設置法が成立する
1999年5月→ 日弁連「司法改革の実現を期する宣言」
1999年7月→ 司法制度審議会審発足。会長に佐藤幸治京
         大名誉教授
1999年9月→ 日本裁判官ネットワーク結成(矢口の別働隊、
         良心的な裁判官のグループを悪事に利用する
         ために結成させた傀儡組織。オリックスの宮
         内義彦が関与)
1999年11月→ 矢口洪一が小渕首相司法改革諮問機関で
          意見陳述
1999年11月→ 矢口洪一が第17回全国裁判官懇話会に出席
         (70年代司法の危機時代における弁護士会と
          の敵対を解消して和解? これは完全な偽装)
1999年12月→ 司法審「論点整理」(はやくも法曹一元は見送
          りとなる。司法改革論議急速に冷却)
2000年2月→ 日弁連会長選挙、翼賛体制主流派・久保井一
         匡が当選
2000年3月22日→ 町田顯、最高裁判事に(小渕内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
2000年4月5日→ 森喜朗内閣成立
2000年4月→ 東京家庭裁判所調査官が未成年後見人をでっ
         ちあげる。八王子家裁事件始る
2000年4月5日→ 森内閣発足
2000年5月14日→ 小渕前首相死去
《森内閣共犯期》
2000年6月25日→ 国民審査を受ける裁判官の写真のない違
                          法な審査公報を森内閣が5000万部作成し
             配布する不正な審査公報で国民審査を強
            行する
2000年7月4日→ 第二次森内閣発足
2000年9月14日→ 深澤武久、最高裁判事に(森内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
2000年11月→ 司法審が「中間報告」
2000年11月→ 日弁連臨時大会が法曹増員計画を受け入れ
2001年1月→ 司法審で「裁判員」が突如として登場する
         井上正仁(東大教授)委員が割り込ませる
2001年4月24日→ 小泉純一郎、自民総裁に当選
《小泉内閣共犯期》
2001年4月26日→ 小泉純一郎内閣成立
2001年5月1日→ 濱田邦夫、最高裁判事に(小泉内閣)
           (最高裁犯罪の共犯者として告発)
2001年6月→ 司法審「意見書」を小泉首相に提出する
2001年7月29日→ 参議院選挙
2001年8月10日→ 小泉純一郎、無投票で自民総裁へ
2001年9月11日→ アメリカで同時多発テロ
2001年11月→ 司法制度改革推進法が成立する
2001年11月→ 山口長官に鈴木が家裁八王子事件関与者 
         の処分要請状を提出する
2001年12月→ 小泉内閣の司法制度改革推進本部が発足
         矢口洪一は推進本部顧問に
2001年12月→ 裁判員制度・刑事検討会が具体案検討
2001年12月19日→ 横尾和子、最高裁判事に(小泉内閣)
             (最高裁犯罪の共犯者として告発)
2002年1月29日→ 小泉首相、田中外相を更迭
2002年2月21日→ 上田豊三、最高裁判事に(小泉内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
2002年6月11日→ 滝井繁男、最高裁判事に(小泉内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
2002年7月22日→  家裁八王子事件で家裁関係12名、弁護士
            2名、民間人5名を東京地方検察庁八王子
            支部に告訴。現在まで処分は不明のまま
2002年8月→ 司法制度改革推進本部、パブリックコメント募集
2002年9月30日→ 小泉第一次改造内閣発足
2002年9月30日→ 藤田宙靖、最高裁判事に(小泉内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
2002年10月7日→ 甲斐中辰夫、最高裁判事に(小泉内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
2002年11月5日→ 山口繁が不作為のまま定年退官。後任は
            町田顕
2002年11月6日→ 泉徳治、最高裁判事に(小泉内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
2002年11月7日→ 島田仁郎、最高裁判事に(小泉内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
《山口繁学歴詐称疑惑発覚》
2002年11月12日→ 山口繁の学歴詐称疑惑を鈴木が突き止
           める(読売年鑑人名録1985年と1986年版)
2002年11月→ 京大法学部事務局に山口繁が卒業生であるか
          否かの問合せ文書を送る(回答なし)
2002年12月3日→ 鈴木が京大法学部事務局を訪れたが、事
          務局は京大卒であるかのような偽装工作を行う
  (以後、十四回にわたり、最高裁長官・町田顕、十四名の最
   高裁判事に家裁八王子事件関与者の処分と、山口繁学歴
   詐称疑惑の真相を公表するよう要請。最高裁は現在まで不
     作為)
2003年3月→ 東京地検八王子支部検事・内田耕平が「民間人
         は起訴、家裁関係者は不起訴」と明言したが現
         在まで処分不明状態が続く
2003年9月20日→ 小泉純一郎、自民党総裁三選
2003年9月22日→ 小泉第二次内閣発足
2003年9月24日→ 民主党と自由党合併
2003年10月→ 裁判員制度で井上正仁座長が私案提示する
2003年10月→ 東京地検八王子支部検事・高橋誠が8000万円
          詐取事件で事件性はないとの理由で被告発人
          の不起訴を明言したが、その後、処分は不明
2003年10月→ 元最高裁長官・山口繁を詐欺罪・贈賄罪の容疑
          で、最高裁長官・町田顕、泉徳治ら十四名の最
          高裁判事、家裁八王子支部裁判官七名を受託
          収賄罪の容疑で、鈴木が東京地検に告発する
          東京地検はサボタージュを続ける
2003年10月10日→ 小泉首相、衆議院解散
2003年11月9日→ 衆議院選挙。不正国民審査強行
2004年1月5日→  才口千晴、最高裁判事に(小泉内閣) 
           (最高裁犯罪の共犯者として告発)
2004年2月→ 東京高裁が鈴木らの「国民審査効力無効請求訴
         訟」で棄却判決
2004年2月→ 裁判員制度で、自民党総務会で国民の負担が重
         過ぎると異論続出
2004年2月27日→ 津野修、最高裁判事に(小泉内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
2004年3月→ 小泉内閣、裁判員法案国会に提出
2004年4月23日→ 裁判員法衆議院可決
2004年5月7日→ 年金保険料未払いで福田官房長官辞任
2004年5月20日→ 裁判員法参議院可決
2004年5月28日→ 裁判員法公布
2004年7月11日→ 参議院選挙
2004年9月27日→ 第二次小泉内閣発足
2004年10月→ 矢口洪一が鈴木が送付した要請状を脅迫
         状として東京警視庁麹町署に虚偽告訴する
         (東京地裁、東京地検、日弁連が事件を捏造)
2004年12月28日→ 今井功、最高裁判事に(小泉内閣)
             (最高裁犯罪の共犯者として告発)
2005年1月16日→ 中川了滋、最高裁判事に(小泉内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
2005年5月16日→ 堀籠幸男、最高裁判事に(小泉内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
2005年7月→ 矢口洪一、鈴木の冤罪事件で検察側証人で証
         言(証言内容はすべて虚偽)
2005年8月2日→ 古田佑紀、最高裁判事に(小泉内閣)
           (最高裁犯罪の共犯者として告発)
2005年8月17日→ 国民新党結成
2005年8月21日→ 新党日本結成
2005年8月→ 京大総長・尾池和夫らに、国民審査施行に当た
         り山口繁の京大卒の真偽を公表するよう獄中
         から鈴木が要請。京大は不作為
2005年9月11日→ 衆議院選挙。小泉内閣は不正国民審査を
            強行する
2005年9月21日→ 第三次小泉内閣発足
2005年10月→ 獄中で鈴木が、被告発人の適用罰条は刑法
          第77条内乱の罪しかないと確信し東京高検
          に再告発
2005年10月14日→ 郵政民営化関連法案成立
2006年5月25日→ 那須弘平、最高裁判事に(小泉内閣)
2006年7月24日→ 鈴木が「釈放」される
2006年7月25日→ 矢口洪一が下咽頭がんで死亡と最高裁
            が発表
2006年9月→ 山陽新聞WEBNEWSに矢口洪一の告別式、お
         別れの会を9月15日のページに報道する
         (これで 7月25日死亡説は捏造と確定する)
《安倍内閣共犯期》
2006年9月→ 安倍晋三内閣成立
2006年10月16日→ 涌井紀夫、最高裁判事に(安倍内閣)
             (最高裁犯罪の共犯者として告発)
2006年10月→ 裁判員制度タウンミーティングサクラ発覚
2006年10月→ 長官・町田顕が定年退官。後任は島田仁郎
2006年11月1日→ 田原睦夫、最高裁判事に(安倍内閣)
            (最高裁犯罪の共犯者として告発)
2006年11月→ 司法制度改革推進本部解散
2007年5月23日→ 近藤崇晴、最高裁判事に(安倍内閣)
2007年9月→ 参議院選挙、自民党歴史的な敗北
《福田内閣共犯期》
2007年10月→ 福田康夫内閣成立